シャヴシャット写真館







オトガル出口

 シャヴシャットという町を、ご存知だろうか? 黄紺も、その場に行って、なんて町があるんだと知った次第だ。それが、サルプのグルジア国境検問所で会ったポリスから、アルダハンがいいと教えられ、早速、ホパからアルダハンまで行こうとしたとき、このシャヴシャット行きに乗り、あとから来るアルダハン行きを待ったときだった。シャヴシャットには、当時、今のようなオトガルはなかった。今のオトガルの入口にところに、バス会社のオフィスが2件あったが、その前の道と坂が、バス乗り場だった。
 シャヴシャットの位置は、ホパから、カラダーに入り、山中を沢づたいに、ほぼグルジア国境に沿って、南下をしていく。アルトヴィンの下のオトガルを越え、そして、やがて、アルダハンへの急勾配の道に入る直前の町、それが、シャヴシャットだ。町自体は、なだらかな坂に沿ってあるという感じで、その坂の上への出口に、オトガルがある。初めて、この町に来たとき、このような場所に、しかも、坂の途中に町があるっていう感じだったので、いたく感動したと同時に、とんでもないところまで来てしまったという印象を持ってしまった。当時は、まだ、話されてる言葉も、とっても癖のある田舎言葉だったので、見るもの、聞こえてくるもの、なんか、全部違ったのだ。数年後、今は亡きA氏と、この町の話をしたとき、「私は、泊まりましたよ」の言葉に仰天したことがあると同時に、黄紺も、それは、やってみたいなの気になってしまってた記憶がある。確かに、メーンの通り沿いに、くたびれたホテルが、バスの中から、目に入っていたからなのだ。
 その最初の通過以後、2度、アルダハン側から通過した。あくまでも、通過である。1度は、カルスから、アルダハンでバスを乗り換え、アルトヴィンに入ったとき。これは、高校生の息子と一緒だった。ちょうど、息子が、お腹の調子を崩し、カルスから出れなくなり、ようやく動けるようになったときだった。坂を下りてみると、下りてきてホッとすると同時に、あの木のない風景から一挙に変わる風景に、残念な気持ち、それを味わうのが、シャヴシャットだ。2度目は、前夜、雲の上に浮かぶアルダハンに泊まり、一挙に、黒海沿岸まで下り、アルハヴィまで行ったときだった。このときも、通過だった。このときに、初めて、シャヴシャットのオトガル(右上写真)に、ミニバスが入った。「アルトヴィン」の名の入った大きなバスも、オトガルに入っており、イスタンブルかアンカラまで行くのでしょうか、多くの人が、バスの周りに集まっているところだった。ここは変わったなぁと思えるのでしたが、町を通過するときは、十年一日の感じでしたね。












中心部

パザル

パザル

パザル

 2007年夏、シャヴシャットを通過し、そして、引き返して、街を歩いた。正確に書こう。シャヴシャットからアルダハンの坂、これは下るより、上がっていく方に、より魅力を感じている黄紺は、最初のとき以後は、下ってばかりいたので、久しぶりに上がってみたいと思ったのだ。前夜、ホパに泊まり、次の投宿地として、アルダハンを考えていた。しかも、アルダハンは、何をすることがなくっても、2泊すると決めていた。最初は、周辺の町へのお出掛けを考えていたんだけど、はっと閃いたのです。シャヴシャットに遊びに行けば、2回、この坂を上れると。そんなで、待望のシャヴシャット訪問と相成った次第です。街は、オトガルが、一方の端っこ。アルダハン寄りだ。そして、アルトヴィン方向にバス道が走ってる。それが、メインストリート。そして、そのメインストリートに対し、アルトヴィン方向を見て右側に、もう一本、大きめの道が走っている。ここには、市役所の建物があったりするが、それだけの坂の街だ。一番最初の印象からすると、もっとくすんだ街かと感じていたが、中心部は、どこにでもあるような地方都市の顔を持っていた。安心をしていいのか、残念だと言っていいのか、ちょっと微妙なところ。その辺は、写真で感じ取ってもらうしかないだろう。黄紺が行ったときは、パザルの立つ日だった。それが、またかわいいパザル。中心部から、ちょろっと脇道の坂を下る、いや下りかけたかなと思ったら、もう、お終いというかわいいものだった。そんなで、下の街の入口まで往復したかなと思ったら、街のほとんどを眺めたという感じになり、待望の2回目のアルダハンに向かう坂の人となったのでした。




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