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【トルコ編】[35]トルコが変わる(2005年夏版)

写真集

 黄紺は、ここ10年ほど、特別なときを除いて、年に1回は、トルコを訪れているが、なかでも、ここ数年の変化の激しさに、たじたじとするところがある。シミットの専門店が、イスタンブルに乱立していたなんてことなど、その典型例であるが、そういった変化、必ずしも便利と言い換えることができないものも、なかには含まれているが、確実に変わっていくトルコを、そのときおりのメモの必要性を痛感するほど、変化が目立っているのである。そこで、2005年夏に感じた変化を書き残すことにより、いや、こういったもの、トルコに行く度に書き残すことで、また、いずれかトルコの変化と、大きな視点でまとめ直すことができるのではないかと思い出しているのである
 まず、2005年と言えば、年明けから新トルコリラが出た年であることから、このことから記すことにしよう。お札の実物を見たとき、100万TLと1YTLが、そっくりなんで、びっくりして、間違いが起こらないかと心配したのは、全く逆。実際に使ってみると、旧紙幣と新紙幣が混在しているので、数字で判断するよりか、色合いで判断するものだから、確かに、この方法がベスト。で、数字の数え方は、どうかと言えば、ほぼ、以前と一緒と言って、いい。クルシュを使っての言い方は、3週間の間、1回か2回だった。例えば、75クルシュは、750bin(binは「千」)という言い方を、依然使っている。更に、10YTLも、10とだけ言うのではなく、その後に、100万を意味する「milyon」を付けて言う場合が、多かった。元々、1000万TLも、単に10とだけ言っていたので、特段、言い方に変化があったという感じがしなかった。通貨のことを書いたついでに、最近の、日本円の両替事情を書き残しておこう。かつては、マラテヤやトラブゾンでも、日本円の両替はできたものである。ところが、2年前、トラブゾンではできなくなり、まさかと思ったアンカラでもできなく、イスタンブルに戻って、ようやくできたということが、強く記憶に留められている。それから、黄紺は、アンカラのウルスの交差点近くにある2つの両替屋が、どのような扱いをしているかを、1つのメルクマールにしようと考えている。昨年は、その2軒とも、日本円の両替をしていたが、今年は、1軒だけで、もう1軒はやっていなかった。両替のレートも、一時、1YTL=80円くらいまで円高が進んだが、今回は、1YTL=85円だった。どうやら、デノミ以後、トルコリラの安定どころか、対円では、トルコリラ高が起こってきているのである。一方で、落ち着いたとは言え、物価上昇が起こっているので、以前のことを考えると、割高感は拭うことはできない。こんな具合なので、両替屋自体の減少が著しいように思えた。どこにでもあった両替屋探しなんて、従来、考えられなかったことが、実際、起こっている。カラマンなんかは、正に、そうだった。シリフケやタルススのような規模の町となると、最後まで、黄紺の目には、両替屋の看板は飛び込んでこなかったほどだ。
 次に、交通事情をまとめておこう。まず、飛行機からである。アトラス・ジェットという新しい航空会社が生まれていた。これは、現在では、トルコ航空、オヌル・エアに次ぐ、第3の航空会社となる。トルコ航空は国営会社で、主要路線を網羅しているが、オヌル・エアが、そういった路線の補充航空会社で、且つ、チケットが安いという特徴があるが、アトラス・ジェットは、路線面で、とっても目新しい。エルジンジャン、シールトなんていう路線を持っているのである。航空会社は、基本的に国策会社だから、トルコ政府の航空行政の統括の下にある。だから、上に書いたような任務分担のもと、新しい航空会社が生まれたと考えていいだろう。バスに関しては、幾つか、目新しいものがあった。こんなことで驚くのは、本来おかしな話なのだが、バスの定時発車が義務づけられたようなのである。これは、個々のオトガルとか、1つのイルだけの話のレベルではない。全国的なものである。こんな光景を見たことがある。アンカラのオトガルで、定時発車をしないで、5分経っても、何台かのバスが、まだ、留まっていた。すると、運転手に向けて放送が入った。「時間を過ぎているので、早く出なさい。そうしない場合には罰則が待っています」というものであった。カイセリのオトガルで、発車直前に、1人の男が乗せてくれと言ってきた。空席があったので、運転手がOKを出すと、荷物を取ってくるから、待っていってくれと、どこかへ行ってしまった。発車時刻を過ぎても、件の男が戻ってこないので、バスは発車することができない。すると、近くにいたそのバス会社の係員がやって来て、運転手に、「何をしてるんだ。早く出ないと罰則が科せられるではないか」と言ってました。もう、これではっきりしました。今までのように、チケットを買っていながら、遅れそうになったら電話を入れて、「遅れるんで、待っていてくれや」と言うことはできなくなったのである。1人でも多く客を乗せるため、なかなか発車しないなんてことは、できなくなったのである。だから、どこのオトガルでも定時発車。逆に、今まで時間に正確だったバス会社は、セールス・ポイントを失ったことになってしまいました。バスの2点目は、オトガルが、どんどんと郊外に出ていくのにも拘わらず、市中に送迎するセルヴィスがなくなる傾向だということだ。今回、アンカラのオトガルからは、セルヴィスが消えていた。ブルサやコンヤは、新オトガルができたときに、セルヴィスはなくなったと聞く。エスキシェヒルなんか、夜の便の遅いものだけ、セルヴィスを用意しているところも出てきている。オトガルが効外へ出ていけば出ていくほど、セルヴィスは有用になっていくはずだが、それはバス会社からすると負担が大きくなることを意味する。この辺の力関係、行政とバス会社の綱引き、どっちに強く触れるかで、その運命が決まっていきそうだ。その一方で、サービス合戦、値引き合戦も激化していくようだ。今夏、初めて出会った車内サービスは、新聞サービス。その日の新聞を希望する人に配るというもの。全ての会社がやっているわけではない。ただ、黄紺は、このサービでを大助かりだったんです。だって、これで、フェネルの無観客試合を知って、急遽、行程を変更できたんだから。
 交通事情といえば、「トルコ渡り」と、黄紺のトルコ友だち間で呼んでいる勝手仕放題の道路の横断。去年の夏にカドゥキョイでできなくなって、とても不便を感じていたら、何も、それは、カドゥキョイだけではなかった。なんと、カイセリの中心街でも、同様の措置が施されていて、びっくり(写真「カイセリ2」)。ついでに、カイセリもう1題。エルジンジャンのような地震で破壊されてしまったような町は別として、地方都市で、なかなか地下道は珍しい。それが、カイセリの場合にはあるのだが、それに、なんとエスカレーターが付設されたではないか。これは、びっくりと同時に、カイセリの繁栄ぶりを知った思いがしたのである(写真「カイセリ1」)。それがまた、フナトゥ・ハトゥン・キュルリエシの真ん前だから、その組合せが、おもしろくってねぇ。こういった街中のが変わると言えば、とどめを刺しそうなのが、チョプチュ(写真「チョプチュ」)の出現じゃないだろうか。お馴染みK氏に、この話をすると、そんなの珍しくないというのだが、15年以上、本拠を、日本に移しているK氏に比べて、この10年間のトルコ滞在時間は、黄紺の方が長いはずなんで、自分の目を信じて、新しい話として紹介することとする。実は、今夏、お世話になったカドゥキョイのY氏には裏をとっている話でもある。「チョプチュ」とは、ゴミ屋さん、お掃除屋さん。上半身に、キブスを付けて、その旨を知らせ、道に散らばっているゴミを、掃除していくのが、その仕事だ。下の写真は、エルジンジャンでのものだが、最初、これは、エルジンジャンという新しい町特有のものだと早合点して、びっくりして撮ったものだが、他の町でも、同様の仕事をする人を見るわ見るわで、これが、全国的に実施をされた新しいシステムであり、更に、その仕事に携わる人たちは、公務員であるということを知った次第だ。確かに、トルコの人たちの、廃棄物に関するモラルはいただけたものではない。バスの窓から、コーラの缶を捨てるわ、ひまわりの食べかすで散らかったスタジアム。惨憺たるものだ。その辺に意識にまで食い込もうという狙いまでが見えてきそうな試みと、黄紺は見ました。1度、決まったら、結構、それを守ろうとする人たちなんで、この効果は、確実に出てきそうな予感がするんだけど、この試みににも当てはまりますやら、、、ちょっと不安。そういった変化が、街の構造まで変えちゃったのではと思ったのが、タルススだ。詳しくは、写真館の方に譲るとして、確実に、1つのコンセプトでもって、そういった試みがなされていることを感じた。その辺を、街の人に聞いてみると、帰ってきた答は、「市長が替わったからね」だった。やっぱ、この国は、上が替わらなければ、変化が起きないのか、そんなことを感じさせられました。これだけの大きな変化を、トップの交代の問題として、いいのかなとも感じながらでしたが。
 黄紺は、トルコに限らず、外国に行くと、日本にいる家族や友人とは、フリーメールで連絡をし合うために、毎日、ネット・カフェに通う。黄紺の、この間、出かけた外国では、トルコは、韓国のPCバンとともに、ネットカフェ大国だ。で、実際、トルコのネット・カフェに行くと、1番困るのが、近所のガキどもが、ネットカフェに陣取り、パソコン上で対戦ゲームをやらかすことなのである。それも、別段、静かにやってくれれば、腹も立たないんだけど、お互いに、大声で情報を交換しながらやってくれるものだから、うるさくてたまらない。この問題は、えてして地方都市に多い。イスタンブルやアンカラのネットカフェでは、少なくとも、そのような光景に出逢ったことはないし、第一、そのような町では、ネットカフェなんてところは、ガキの出入りする雰囲気はないのである。このうるさいネットカフェにとって、黄紺的に朗報と思ったのが、「プレステ2センター」の登場だ。これは、今夏、数は多くはなかったが、新たに見つけた代物だ。ま、ゲーセンだと思えばいいのだろうが、「プレステ2」を謳っている以上、そのゲームが用意されているのだろう。その辺は、実際には中に入っていないばかりか、入っても、その系のゲームをしない黄紺には判定がつかないが、少なくともパソコン・ゲームおたくからするとそそられるもの、登場なのである。
 さて、最近のトルコ行きで、黄紺が最も重きを置いているサッカー観戦に関する目新しきことは、この駄文も長くなってきたので、別稿(↓)に譲りたいと思っている。ただ、下の写真を、ご覧下さい。一目瞭然のこと、イノニュ・スタジアムの拡張が進み、シュクル・サラチオウル・スタジアムが最終仕上げにかかっています。アリ・サミ・エンも改築されたことも含めて、ますます発展、トルコ・サッカー界というところなのだ。

写真集 スタジアム(1) スタジアム(2) スタジアム(3) オトガル
シュクル・サラチオウル・スタジアム

イノニュ・スタジアム

カイセリ・アタテュルク・スタジアム

カラマン、バスは定時発車に

チョプチュ タルスス博物館 プレステ2センター カイセリ(1) カイセリ(2)
エルジンジャン 新博物館 ディヤルバクル 地下道 通りに面して柵





【トルコ編】[36]ラマザン(断食月)体験A〜カラマンを中心に〜

(写真)
イフタル・メニュー(カラマン)@イフタル・メニュー(カラマン)Aイフタル・メニュー(コンヤ)@
イフタル・メニュー(コンヤ)Aイフタル・メニュー(イスタンブル/モダ)イフタル&サフル・メニュー(アフヨン)
イフタル用広告(コンヤ)イフタル用パン(カラマン)@イフタル用パン(カラマン)Aイフタル提供テント村(アフヨン)@

 2010年夏のラマザンは、8月11日から始まった。その数日前、バイブルトからイスタンブル行きのバスが取れず、仕方なく買ったアンカラ行きのバスも、際どく取れたということもあり、バイブルトのオトガルで、「なんで、こんなに取りにくいの?」と尋ねると、あっさり「ラマザン前だからね」と言われ、あっさり納得の黄紺。既に、人の移動ということで、ラマザンの兆候が現れ始めていました。そのラマザン初日に合わせて、北キプロスからトルコに戻り、できるだけ地味な地方都市に行こうと、カラマンに入った。「地味な地方都市」にぴったり、しかも、交通の要所ということから、都市機能を、古くから持っている、正にニーズにぴったりの町をチョイスできたのです。冬のラマザンは経験済みだが、夏のラマザンは初体験。もう夕方と言うには早い時間に、街に出ることができていたので、ラマザン的光景を探してみる。表通りに面したロカンタはやってないのは当然として、幾つかのロカンタ前には、「イフタル・メニュー」という看板を出している。ちょいとしたコースになっており、イフタルには、まず、いきなりこってりめは避けてという健康志向で、どこの「イフタル・メニュー」にも、チョルバが入っている。チョルバでパンを食べてお終いという簡易食事ではなく、メーンディッシュ前のスープという日本的感覚のチョルバだ。そう言えば、この時期、ラマザンのときの過ごし方なんてものが、新聞やTVを飾るのが常だ。この日も、バスの中で観たTV(これ、感激! 飛行機に乗ってるみたい(^_-))では、空腹感からくるストレスへの対処法や、スーパースター、ギュルベン・エルゲンが、自分的ラマザン・メニューを手作りして見せてくれてましたっけ。ちょっと見てくれのいいジャーミーのある交差点まで移動すると、すっかり模様替え。交差点一帯に広場ができている。この数年来、各都市が、競い合うかのように都市の模様替えに勤しむ姿を見てきたが、カラマンも例外ではなかった。その一つが、この広場だ。ところが、この広場の一角に、オープン・レストランよろしく、テーブルが幾つも並べてあるのだ。これは、あとで判ったのだが、広場に面したロカンタが、この広場を活用して営業をしていたのだが、これが、ラマザン用なのかどうかは、定かではないが。チャルシュに向かう。今回、目についたのは、イフタル用に売られているパン屋が、やたらと目立ったのだ。街角に台を置いて売る者あり、パン屋でないのに、店先にパンを置いている、ましてや、パン焼きをしている店などは、長い列ができている。街角での売り子に、女の子が目立ったのも特徴かな。物売りは、男の子というのが定番だったのが、女の子なのです。夏のイフタルは、かなり遅い時間。西アナトリアで、午後8時前後。エディルネなんかでは、午後8時20分なんてのを、TVで観ました。で、いよいよイフタルの時間が近づいてきます。案の定、街角から人が消えていきます。時々、車が走るだけという光景。今回、どの町でも感じたのは、イフタルの時間が訪れてから、がくっと人も車も消えるという傾向が進んでるというもの。カラマンの場合、イフタルを知らせるのは、昔ながらの大砲一発でした。その大砲一発が鳴り響くと、ミナレットから、エザーンのようであり、エザーンではないのが解るメロディをつけた言葉が流れ出しました。これも、イフタルを知らせる手段なのでしょう。黄紺は、実は、この時間まで、夕食を我慢できなかった。そこで、試しにロカンタに入ってみた。「食事、できますか」「オルチ、やってないんですけど」、、、ダメでした、表通りでは。「1時間後」と、イフタルの時間を指定されてしまいました。これは、ホントに、1時間後まで待たねばならないと、裏通りに回り、食べさしてくれるロカンタを発見。「イフタルの前だけど、いいかな」「いいよいいよ」で、呆気なく、食事をすることができました。これは、裏通りですが、表通りに、1軒、これはくさいぞという店があったのです。煮込み系を好む黄紺ですので、焼き物系のお店だったので、入ってみることは試さなかったのですが、間違いないと思っているお店です。何がくさいと思わせるのかと言うと、店の前のテラスのところに、布を張り、そのテラス、及び店内を見えないようにしているロカンタがあったのです、表通りに。これは、絶対、客を入れていることを見えないようにしている、そう判断しました。そこで、イフタルの時間になったところで、その店の前を通ってみると、きれいに、店の前にあった布が巻き上がられていました。これで、自分の判断は、間違いないと証明されたと思いました。これと、よく似たことが、アフヨンでありました。イフタル前に、イフタルの準備だけじゃないぞと、目を付けたロカンタに入りました。すると、1階にあるテーブル席には、客が入っていません。第一、1階はテーブル席が少ない。そこに座ったのは黄紺だけ。表通りから、食べているのが見えるのだけど、それは、トルコ人の顔をしてない人間。ところが、黄紺が食事をしていると、何回か、客が入ってきた。その客は、全員、2階に上がっていきました。そか、2階に上がれば、食事をしているのが、外から見えない仕掛けになっているのでした。街の機能を停止してしまったカラマンの街中を歩いてみます。つい今しがたまで、店を開いていたであろう店、客を迎えねばならない店先が放りっぱなしになっている。「なんだ、これは!」と思う光景。で、目を、店の奥の方に向けると、家族なんでしょうか、お店の従業員さん一同なんでしょうか、皆さん、ソフラを囲んで、一心不乱に食事をしてました。少し歩を進めると、5.6人の家族が、家の横でしょうか、ソカクでソフラを囲んで食事を食べている。なんか、かっこんでるっていう印象。お腹、すいてたんでしょうね。新たにできた広場に拡げられていたテーブル席は、テーブルにローソクでしょうか、薄暮のなかで、いい雰囲気のお店に。でも、客の入りは少なかったかな。ぶらぶら歩きで、喜捨の精神で、イフタルをふるまっているところはないか、ベレディエが、そないなことをしているテントなどがないか、探してみましたが、カラマンでは見つけることができませんでした。替わりに、アフヨンの中心部での駐車場(?)で、「ベレディエ」と染め抜かれたテントで、イフタルをふるまっているものを見つけることができました。アフヨンでは、中心部の広場を使い、「ラマザンを祝うコンサート」なるものが、イフタル明けの時間に設定されていましたが、マイクで散々言っていた開始時間になっても始まらないわ、人の集まりは悪いわで、待つのを止めて引き上げました(カラマンの方は、そういった催しなるものには接することはできませんでした)。ホテルに戻り、疲労からダウンをしていると、やたら外が騒がしい。時計を見ると、10時をそこそこ回っている。ジャッデに面したホテルの前を、家族ずれ、友人と、そういった感じの人たちで溢れていました。夏の夜をそぞろ歩き、最近のトルコでは、とんと減った光景が、目の前にありました。ヨーロッパのクリスマス同様、トルコでは、ラマザンは家族でお祝いするもの、その雰囲気が、このそぞろ歩きに現れているという感じがしました。  [35]トルコが変わる(2005年夏版)へ戻る





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