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日本トルコ文化協会(京都)の卒業生である。そこで、アイシェ・ハヌムと同級生だった。
で、実はもう1人、元同級生で、ネット上で活躍している人(トルコ関係)がいる、、、。
これは、まだ明らかにされていない。また、私と同じフェネリのドクトル・今松は、そのと
きの私の先生である。 |
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年齢は明らかにされていないが、以下のことから、この「黄紺のお部屋」は、“年寄りの
隠れ遊び”の匂いがする。
・浪人生の息子がいる。
・その息子と、今まで2回外国に行っている。その内1回は、ウィーンへ。そこでトルコ
人街を歩く。もう1回は、20日間、一緒にトルコを歩く。息子は、トルコ・アルメニア国
境を見た数少ない日本の高校生となる。 |
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仕事も明らかにされていないが、、、、。さるBBSに、こんなことを書いたことがある。「職
場で、VTRのダヴィングがしやすい」なんて。 |
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「黄紺=女」説やら、「黄紺=男女不明」説が出たこともあったが、私は、男です。 |
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イスタンブールに行くと、いつもカドゥキョイに滞在する。そもそも、ここが、かつてのカル
ケドンだったということだけで、足を運んだのが始まり。今は、昔日の面影は残ってはいな
いが、とても気に入っている。日々、ヴァプールに乗りヨーロッパ側に渡ることや、イスケ
レからモダ方向に歩くことなんかが好きな人である。ここから、自然とフェネルバフチェを
応援するようになる。で、そのフェネルバフチェのチームカラーが、「黄紺/サル・ラージ
ヴェルト」でありまする。 |
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最近は、東部、東南部に凝っている。「もうここは、コーカサスか!」というカルスあたり、
広範なクルド人たちの地域、アラビア語を母語とする人々と出会える地域に、毎年夏に
なると出没している。昨年の夏は、なんとビトリスで見つけたインターネットカフェから、
civcivさんちのBBSにカキコした思い出がある。詳しい行程は、下の「黄紺/トルコ・北キ
プロス旅程一挙大公開」を見てやって下さい。 |
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トルコには、今の私の状況からして、年に1〜2回しか行けないが、年に最低2回は足を
運んでいるのが、韓国である。黄紺は、実は韓国フリークでもある、ということは何度か
書いたことがあります。ただ、私の韓国語は、トルコ語には全くもって及びませんから、
いや早い話が、ハングルが読める程度ですので、上辺をなでる程度なんですが、一通りト
ルコについて、「黄紺のお部屋」が整いましたら、今まで書いたものを公開するつもりな
んですが、こちらの方は、『近日』公開ということで。あーあ、“天ぷら、食いたい” |